2010年9月13日月曜日

御前崎の思い出


 恒例の柔道部の同期会が静岡県御前崎市で行われたので、出かけた。関東と名古屋から中間ということで、今回は幹事が静岡県の御前崎海岸を選んでくれた。太平洋に続く遠州灘に面した海岸べりである。関東からは関東学院大の角田君と小生、名古屋からは6名ということで、集まるべくして集まるフルメンバーの8名が顔を揃えた。
 この会、当時のキャプテンで今は故あって一人住まいの平山君が寂しさを紛らわすためにリーダーシップをとって開催されてきたが、今後もそれが続くだろう。次回は彼の避寒先の沖縄で来年の二月開催ということに決まった。時間を自由に使える仲間が増えてきて、遠くへ行くことに支障がなくなってきたということもあるが、みんな心の底には残り少ない人生への未練があるのかもしれない。
 ゴルフをするのが半数なので、大抵飲んで、翌日近くを散策することにしているが、今回選んだのが中部電力の浜岡原子力発電所と池宮神社という由緒ある神社の二箇所。記念館では地球誕生と水の大切さを訴える映画を見せてもらったが、全員睡魔に襲われる始末。
 道中二組の母子と偶然、知り合い一緒にカメラに収まってもらった。いい記念写真が取れたので、アルバムを作成して、額に入れて贈呈した。思い出の一つとして残れば、小さいかも知れないが、またいずれは忘れるかも知れないが、幼いときの思い出のひとかけらとなってくれるだろう。
 誰が最初に逝くだろうかと話し合っているが、そんな時に故人の思い出として通夜の席で流せるようにと毎回,15分程度のDVDで撮影した写真を編集して動画にしている。もちろん、音入り、文字入りである。これが好評で、すでに5,6枚溜まったが、撮影者がDVD中に登場しないので、撮影者が逝った場合には困る。従って、撮影者は一番長生きしなくてはならないという理屈になる。

2010年9月9日木曜日

四日市の恩人 その2


 四日市にはもう一人の恩人がおられる。廣田正雄さんだ。この方、車のドライブシャフトを作る会社であるが、「環境」ビジネスを会社の第二の柱にしようと、永年EM関連のビジネスを開発されてきた。EM菌を使った環境浄化に取り組んでおられ、地域の河川の浄化には多くの実績をあげらている。
 そんな廣田さんの会社の別荘が木曽駒高原にある。国道から入って数分の木曾文化会館の横にある。ここへ三重ファーレン会がある前の晩に1泊お世話になる。夜は地元の食材を駆使してまかないの地元のご婦人が世話をしていただくのだが、この料理がなんともいえない。都会では味わうことが出来ない材料の新鮮さが食感にあるのだ。昔の野菜の味、臭い、そんな懐かしいものが味わえる。
 毎年、ここへは杉田有志の会のメンバーをお誘いするのだが、昨年は三名、今年は土谷さんだけであったが、土谷さんも都会育ちで、この味には堪能された様子だった。そして亡くなった先輩の奥様とそのご友人もここに泊まっていただいているが、きれい好きのお二人ともこの別荘のアコモデーションには大満足、特にかけ流しのヒノキ風呂は都会人には感激のようだ。
もう一人、忘れてはならないのが河原崎さん、札幌に勤務中の公務員なのだが、夏休みをこのファーレン会のために使うというゴルフ好きである。以前は家族全員でこられていたが、子供さんたちが中学校に行く年齢になり、さすがにそれは出来なくなっている。
 夜はゴルフ談義、明日への希望を胸に眠り、早朝から起きだして、近隣の散歩という一日が始まる。

四日市の恩人 その1


 筆者が1988年名古屋支店の支店長として赴任した時、アルファロメオの代理店をしていただいていた四日市の吉田自動車販売の吉田社長とお会いした。大のゴルフ好きで、40過ぎからゴルフを始め、ご本人の言葉で言うと「ダンプカー1杯分の球を打った」シングルである。地域で古くからダイハツの代理店、中古車の売買を手広く行い、成功されてきた。その美術骨董品のコレクションは各地の美術館や博物館が借りにくるほどの名品、逸品揃いである。日本刀のコレクションには書籍に出てくるものもある。
 この吉田社長が主宰されているゴルフの会が「三重ファーレン会」。三重県、愛知県を中心に、吉田社長の知人、友人を核にそこからの人脈で構成されている。多い時は200人近くが開田高原の木曾カントリー倶楽部で1泊2日のゴルフをしたこともあるが、25回目を迎える今は40から50名ほどのゴルフ好き、吉田ファンが参加している。自身でマイクロバスをレンタルして四日市から参加者を運んでこられるというサービス振りで、吉田さんの人柄、世話好きの人生が見て取れる。
 筆者は1986年ぐらいから参加させて頂いているが、担当は賞品係り。何でもそろう商社に勤務していたこと、ゴルフに精通していたことが原因の一つだが、世話好きな性格の一面も見ておられたようだ。
 運営は吉田社長と3名の幹事の好きなようにさせて頂いている。それがいやな人は参加されなくてもかまわないと言うスタンスを貫いており、自然と気心が通じ合う人たちの集まりとなっている。
 名古屋へ出張したら必ず、訪問し叱咤激励をいただいて帰ることにしているが、かなりのご高齢のためか、体にも変調が来ているようで、皆で心配している。

2010年9月4日土曜日

中央アルプス宝剣岳


  年一回の三重ファーレン会が行われるので、長野県木曾福島の別荘地木曽駒高原へ、土谷さんと一緒に出かけた。といっても筆者は主催者の一人で幹事、土谷さんはお客様なのだが、気安くお手伝いを買って出て頂いている。誠に杉田有志の会の会員の皆様には頭が下がる思いである。
 沼津でお土産の干物を買って、富士川から西富士自動車道を北上し、甲府南から中央自動車道を名古屋へ向かってひたすら走る。途中、どこへ寄るかという話になり馬込の宿が候補に、それならば飯田までと走り続けたが、途中で気が変わり、駒ヶ根で降りて駒ヶ根ロープウエイで千畳敷カールへ行くことにした。この辺りは筆者にとっては半分自分の庭のようなところである。日本発条の子会社の日本シャフトの駒ヶ根工場があり、仕事の関係で、よく訪れていたし、いまだに交際して頂いている方々もここにはおられる。
 麓で名物の「ソースカツ丼」を堪能し、ロープウエイで2610mの千畳敷カールへ到着。さすがに涼しいが寒くはない。今年は山も平均気温が5度ほど高いそうだ。
 カメラを持参したので、適当に撮影したのがこの写真の数々。季節的には一番、味のない季節なのかも知れない。多くの高齢の女性たちが、ロープウエイから降りられてきたが、ここでも女性の力強さを目の当たりに見せ付けられた。駒ケ岳には大学時代、山岳部の友人に連れてきてもらい、霜柱の立つ山道を歩き、山頂でテントを張って寝たことがあったが、遠い日の思い出になってしまった。年とともに時間のスピードが早まり、忘却のスピードも増して行くようだが、それも一生という命の定めと納得するしかないのか。